Modelado bonito(モデラード・ボニート)70☆43n's

ブログタイトルはスペイン語で美しい模型と言う意味です。早くブログタイトルに負けないように美しい模型作製をしたいです。追記:43みならいさんと2人の会

震災後一年を経て

Posted by トマソン on   4 comments   0 trackback

今日は、あの忌々しい東日本大震災発生から一年経ちました。

あの日から被災地の人達の生活は変わってしまいました。

自分は度々被災者と自分で言っていましたが、どの様に被災したのかを記憶が薄らいで行くまえに記録しておこうと思います。

自分の自宅は、仙台の隣町で、実家は、石巻市渡波です。

嫁さんの実家も石巻です。

2011年3月11日PM2:46
東北、関東地方に非常に強い地震が発生しました。

自分は、地震発生時には単身赴任先の山形県酒田市で仕事中でした。酒田市でも震度5強の地震がありました。とても立っていられる状況では無くて、駐車場にしゃがみ込んでしまうくらいでした。

直ぐに嫁さんに電話しました。

当日嫁さんは、最悪な事に石巻の実家で親戚の葬儀で帰省していたのでした。

県外からなのか、地震直後に連絡が取れたので、避難する様に言いました。

仕事場の非常用電源でテレビが映った情報から10mクラスの大津波警報が発令されていました。今まで津波が来た事が無かったから、真剣に聞いてはいなかったのですが、念のために嫁さんと実家の母親に避難した方がいいと電話で話しました。

とりあえず、自宅の仙台に戻る事にしました。この時は、地震で家の中が心配だなぁくらいで、帰ってました。

車中でカーナビのテレビで情報収集していたら、段々と事態が急変して行くのが分かりました。地震発生から45分後に大津波が静かにやって来たそうです。

呑気に停電中で信号が消えてる中での、運転は気味が悪いなぁと帰っていたのですが、事態は最悪な方向になりそうだったので、また嫁さんに電話したら、直ぐに繋がり「本当に大津波が来るかも」って連絡したら、「もう既に津波が来て、人や家が流されてる避難所の二階に居るけど、このままだと流されるかもしれない、覚悟しててね…」

そこで、電話は切れました…

頭が真っ白になり、運転も覚束なかったのですが、とにかく石巻に行かなきゃと思い帰路を急ぎました。

車中のカーナビテレビでは、次々と悲惨な情報が流れて来て、信じられない事ばかりでパニックになりそうでした。仙台荒浜に200人程の遺体が流されていたとか、気仙沼では火災が発生して壊滅状態とか、石巻でも大津波により壊滅状態らしいという不確定な報道がされてとても焦りと不安で一杯でした。

そこからは、嫁さんとは、連絡が取れなくなり最悪の覚悟をしました。とにかく自分に出来るのは、石巻に居る嫁さんと母親を救出する事でした。

石巻に着いたのは夜の9時でした。津波で浸水していて、石巻に入る事は出来ませんでした。そこから車でまる3日間ずっと待機してました。ヘタに動くとガソリンが減るし、エンジンを切って毛布に包まり待ち続けました。震災直後の夜空は、びっくりするくらいに綺麗で人類は、自然には叶わないんだと嘲笑うかのようでした。

いくら待っても渡波に入れそうにないので、地元の人しか分からない林道を通り多少の浸水にも車で入って行き、瓦礫が凄くて途中で車を置いて歩いて行きました。歩いて行くとまさに地獄絵図の様でした。今まで見慣れた街の光景がそこにはありませんでした…
流された車があちこちにあり、運転席には動かない人の気配がありました。
とても直視出来る状況で無い中で嫁さんが避難している葬祭会館に到着しました…

二階に上がると200人程カーテンに包まったりしている方々が居ました。

嫁さんは、嫁さんの母親と無事に避難してました。二人の姿を見た時に号泣してしまいました。
二人は、3日間飴玉一つとコップ半分の水で過ごしたそうです。
詳しい避難所生活は、嫁さんのブログに任せます。

ようやく助け出した嫁さんと嫁さんの母親と、自分の母親とを連れて仙台の自宅に帰りましたが、自宅は、津波の被害が無かったのですが、地震により暫く自宅でも生活出来そうに無いので、単身赴任先の酒田市の8畳一間のアパートに避難して来ました。

次の日には両方の実家の悲惨な状況を目の当たりにして愕然としました…





これが震災直後の自分の実家です。
前には平屋の家がありましたが、すっかり流されて我が実家に瓦礫が突っ込まれてました。

二階までの浸水は無かったのですが、全壊扱いになりました。

取り壊しを石巻市に頼んでも一向に解体はされずに昨年末でもこの状況です。


そしてようやく先月に解体されました。





約一年掛かっての実家の解体でした…

そして我が家の嫁さんの車はようやく探してかなり流されていました。



この車で避難してたら、嫁さんは、ダメだったでしょう。


被災した母親達は、ひとまず借り上げアパートに入り石巻の復興を待ち続けています。

嫁さんもいつあんな悲惨な事が起こってしまうかもしれないから、今を楽しんで悔いのないように、亡くなった方々(嫁さん側の親戚が亡くなりました)の分まで生きようと言っています。

なかなか文章で伝えるのは、難しいのですが、巷では復興元年と言ってますが、まだまだ被災地は、復興のスタートラインに立っていない所も多いです。

一年だからとか、区切りだからとかでは無くて被災地、被災者はあの悲惨な東日本大震災をいつも、いつまでも忘れずに居てほしいと思っています。

まだまだ自分より大変な方々が一杯います。これからもより一層の支援と復興が望まれます。

最近では、サッカー観戦も、模型製作も普通に出来る事に慣れてきてます。
震災直後は、それどころでは無かったのですが、それだけ震災の大変さからかけ離れて来てるのかと思います。

いつまた、自分の趣味が出来なくなるかもしれないから、楽しめるありがたさを噛み締めながらサッカー観戦、模型製作をして行きたいです。

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Comment

エヌエフ says... "No title"
おはようございます。
あまりにもリアルな内容に言葉がありません。
この体験がきっと将来に活かされる事と信じます。
地震直後の夜空が驚くほどきれいだった…この一節が妙に心に残りました。
2012.03.12 06:21 | URL | #- [edit]
トマソン says... "エヌエフさんへ"
こんにちは。

今回の震災で自分より大変な思いをしてる方々も多いから、自分の辛さはまだまだ軽い方かもしれません。最近またテレビでの壮絶な映像を見ると一年前を思い出してしまいます。

今回の震災の映像や写真を見て感じるのは、人それぞれだと思います。
多分コメントもし辛いと思います。被災地や、被災者にどんな言葉を掛ければ良いのか、自分でも見つかりません。

ただ、自分で出来る事を無理なく支援する事が復興への第一歩かと思っています。

あの晩の夜空は、気持ち悪いくらいに綺麗で一生忘れないでしょう。


さて、模型製作好きの方々も亡くなっていると思いますので、鎮魂の意味で素晴らしい完成品を作製しましょう!
2012.03.12 11:21 | URL | #- [edit]
43-factory says... "No title"
トマソンさん
ブログ拝見させていただき、まさにリアルな内容で私も言葉を失いました。
今迄は全然気にしてなかったのですが普通に生活できて模型まで作っていられるって凄い幸せな事なんだとこの記事を読み改めて思い知らされました。
今後、「何が起こるか解らない世の中」ですが精一杯生きて行くよう心がけないといけないと、思いました。

2012.03.12 13:42 | URL | #oh4NkpYI [edit]
トマソン says... "43-factoryさんへ"
こんばんは。

なかなかコメントし辛い内容でしたが、自分の経験と今の状況を話させてもらいました。感じ方や、捉え方は人それぞれなので、あとは、被災地や、被災者がどんな思いをしてるか知って欲しかったのです。

自分よりも大変な思いをしてる方々が、まだまだ居るので普通の生活して良いのか悩みましたが、いつまた大惨事が降りかかるか分からないので、43-factoryさんの言葉のように、今を大切に生きるしかないかなぁと思います。

なかなか上手く話せませんが、普通に模型製作を、出来る幸せを感じながら、良い作品を作って行きましょう!

アルファの製作楽しみ拝見していますよ。
2012.03.12 21:35 | URL | #- [edit]

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